2019年10月17日に日本高校野球連盟事務局長である竹中雅彦さんが64歳で間質性肺炎のために亡くなったというニュースがありましたね。
葬儀は近親者のみで行う予定で、後日、高野連がお別れ会を開くと言うことでした。
2019年の8月から9月のU18ワールドカップにも同行しており、元気な姿を見せていた竹中雅彦さんでしたが、とても残念です。
さて、今回亡くなった高野連事務局長である竹中雅彦さんとはどんな方なんでしょうか。
今回は「竹中雅彦(高野連事務局長)の経歴や家族と妻や子供は?出身大学や高校はどこ?」と題して、日本高校野球連盟事務局長である竹中雅彦さんについて紹介します。
竹中雅彦(高野連事務局長)さんのプロフィール
それでは日本高校野球連盟事務局長である竹中雅彦さんのプロフィールについて紹介します。
名前:竹中 雅彦(たけなか まさひこ)
生年月日:1954年
年齢:64歳
出身:和歌山県和歌山市
高校:和歌山県立桐蔭高校
大学:成城大学経済学部
職業:日本高校野球連盟事務局長
現在のところ判明しているプロフィールは以上になります。
竹中雅彦さんは享年64歳なんですね。
U18ワールドカップでは日韓関係の悪化を考慮し、出入国のときに日の丸を付けないという対応を取っていました。
この頃は元気な姿を見せていたのですが、残念ですね。
出身は和歌山県和歌山市で、高校は和歌山県立桐蔭高校ですね。
大学は成城大学経済学部ですね。
竹中雅彦さんの家族(妻や子供)に関する情報はありませんでした。
もし結婚されていればお別れ会などで判明すると思います。
情報が入り次第更新したいと思います。
竹中雅彦(高野連事務局長)さんの経歴は?
日本高校野球連盟事務局長である竹中雅彦さんの経歴をまとめてみました。
1954年:和歌山県和歌山市で生まれる
1955~1995年:和歌山県立桐蔭高校⇒成城大学⇒和歌山県の高校教師(社会科)
1980~1995年:和歌山県立桐蔭高校の軟式野球部監督⇒和歌山県立新宮高校の硬式野球部長⇒和歌山県立星林高校の野球部長
1996年:和歌山県高野連理事長
2011年:日本高野連事務局参事
2013年:日本高野連事務局長
和歌山県立桐蔭高校では軟式野球部、成城大学では硬式野球部に所属していたと言うことでした。
高野連に所属する前は高校教師をやっていたんですね。
そこからいくつかの野球部の監督を経験。
その後、和歌山県高野連の理事長、日本高野連の事務局参事を経て、日本高野連の事務局長になっています。
事務局長を務めた6年間で、竹中雅彦さんが行ったことを紹介します。
・高校野球200年構想
・タイブレーク制度の導入
・投手の障害予防に関する有識者会議を発足
・球数制限の導入
・健康管理のための野球手帳交付
・体罰を減らすことを目的とした指導者講習会
など
選手の健康を考えた取り組みが多かったようですね。
ツイッターやネットの反応
日本高野連の竹中雅彦事務局長が亡くなった。フリーランスの僕にも分け隔てなく接してくれて、本当にお世話になった。甲子園の喫煙所ではいつも一緒で、12月に退任したら、「ゴルフしましょう」と話していたやないですか。悲しすぎるよ、竹中さん。ご冥福をお祈りします。
— yuji_yanagawa (@yuji_yanagawa) October 16, 2019
悲しい。現場で体罰問題が起これば「いろんなスポーツがある中でせっかく野球を選んでくれているのに」と話され、選手のことを常に考えられておられました。投手の障害予防の取り組みもこれからというところで残念です。
日本高野連事務局長の竹中雅彦さん死去 64歳 https://t.co/Q3ij6adgKh
— スドウヨシヒロ⚾︎SANSPO (@sanspo_sdosan) October 16, 2019
U18W杯の時に日の丸を外させたことをマスコミに説明していた方。
批判もありましたが危機管理の面では適切な対処だったと思う。
御冥福をお祈り致します。日本高野連事務局長の竹中雅彦さん死去 64歳(産経新聞) https://t.co/TnICDlr9X9
— RYU (@nmis0510) October 16, 2019
別れを惜しむ方が多くいらっしゃいました。
ご冥福をお祈りいたします。
まとめ
今回は「竹中雅彦(高野連事務局長)の経歴や家族と妻や子供は?出身大学や高校はどこ?」と題して、日本高校野球連盟事務局長である竹中雅彦さんについてご紹介してきましたがいかがでしたでしょうか。
出身は和歌山県和歌山市、高校は和歌山県立桐蔭高校です。
大学は成城大学でした。
家族に関する情報はありませんでした。
情報が入り次第更新したいと思います。
1996年から和歌山県高野連の理事長、日本高野連の事務局参事を経て、2013年に日本高野連の事務局長になっています。
選手の事を考えた取り組みを積極的に行っていたようですね。
ご冥福をお祈りいたします。