2019年11月18日に人間国宝の漆芸家である太田儔(おおたひとし)さんが肺炎のため88歳で亡くなったと言うニュースがありましたね。
葬儀は20日12:30から高松市屋島西町1973のベルモニー会館屋島にて行われると言うことでした。
人間国宝として高い技術を持っていた太田儔さんが亡くなり、とても残念です。
さて、今回亡くなった人間国宝の漆芸家である太田儔さんとはどんな方なんでしょうか。
今回は「太田儔(人間国宝の漆芸家)の経歴や顔画像は?過去の作品も紹介!」と題して、人間国宝の漆芸家である太田儔さんについて紹介します。
太田儔(人間国宝の漆芸家)の経歴や顔画像は?
人間国宝の漆芸家である太田儔さんについて紹介します。
名前:太田 儔(おおた ひとし)
生年月日:1931年5月4日
享年:88歳
出身:岡山県岡山市大崎
大学:岡山大学
<経歴>
1953年:岡山大学に入学。内弟子となり、漆工芸を学ぶ
1965年:日本伝統工芸展にて初入選
1975年・1981年:7日本伝統工芸展似て文部大臣賞
1993年:紫綬褒章を受章
1994年:国指定重要無形文化財保持者に認定
香川大学教授や香川県漆芸研究所の指導員を経験
<顔画像>
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出典:文化庁
人間国宝の漆芸家である太田儔さんは享年88歳です。
人間国宝になったのが1994年なので、実に25年もの間活躍されていたんですね。
素晴らしい技術を持った方が亡くなってしまったことはとても残念ですね。
出身は岡山県岡山市大崎で、岡山大学に入って内弟子となり本格的に漆芸の道に入ったと言うことでした。
太田儔さんが持っていた技術は「蒟醬(きんま)」と呼ばれるもので、漆を塗った面に彫刻刀で模様を彫り、その彫り口に色漆を埋め、平らに研ぎ出す技法を言います。
この技法で1975年と1981年には日本伝統工芸展似て文部大臣賞、1993年には紫綬褒章、そして1994年に国指定重要無形文化財保持者に認定されています。
太田儔(人間国宝の漆芸家)の過去の作品は?
人間国宝の漆芸家である太田儔さんを紹介します。
日本工芸会の公式HPに太田儔さんの作品が紹介されています。
気になる方はそちらも参考にしてみてください。
3月に入りましたが、今日の東京は冷たい雨です。早く暖かい春が来てほしいですね。そんな願いも込めて #人間国宝 太田儔の籃胎蒟醤茶箱(らんたいきんまちゃばこ)「春風」で、全国に春をお届けします。 https://t.co/1iYxKdNKr9 #工芸技術 pic.twitter.com/NHPF8FJi5b
— 文化遺産オンライン (@bunkaisanonline) March 2, 2017
東京国立近代美術館工芸館「所蔵作品展『近代工芸の名品 - 特集展示:棗<なつめ>にまつわるエトセトラ』」008
◆高村豊周「朱銅まゆ花瓶」
◆音丸耕堂「彫漆茶入」
◆太田儔「籃胎蒟醤茶箱」
◆赤地友哉「木地糸目旅棗」
◆音丸耕堂「彫漆茶入 瑞祥」「彫漆瑞彫 茶入」「彫漆色紙箱」 pic.twitter.com/fo12UfWlt9— 岡田昌浩 (@triparaace) January 13, 2019
#動物集合 高野松山『群蝶木地蒔絵手箱』太田儔『籃胎蒟醤文箱 蝶』前大峰『沈金蝶散模様色紙箱』,鳥毛清『沈金飾箱 緑風』。
蝶はそれ自体で文様となり,蜉蝣は自然の中に。 #Bura_Bi_Now pic.twitter.com/H4CYwydVme— まつい(H_MATSUI) (@Liddell_0124) May 19, 2017
2つ目と3つ目のTwitterでは4枚の写真のうち、右上の写真が太田儔さんの作品になります。
まとめ
今回は「太田儔(人間国宝の漆芸家)の経歴や顔画像は?過去の作品も紹介!」と題して、人間国宝の漆芸家である太田儔さんについて紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。
太田儔さんは享年88歳で、人間国宝の漆芸家としては約25年もの長い間活躍していました。
1975年と1981年には日本伝統工芸展似て文部大臣賞、1993年には紫綬褒章を受賞されています。
高い技術を持っていた方だけに亡くなられたことが残念ですね。
作品は日本工芸会の公式HPにありますので、気になる方は見てみてください。
太田儔さんのご冥福をお祈りいたします。